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茨城県の延喜式内社・平安時代の神社社格表記

茨城県には、延喜式神名帳や六国史等に記載のある平安時代(1185年)以前から続く由緒のある神社が多数あります。


平安時代以前(延喜式神名帳)の茨城県の国名について

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現在の茨城県は、平安時代の常陸国と、下総国の一部、陸奥国の端部で成り立っていますそのため、延喜式神名帳に記載の神社を調べるためには、常陸国、下総国、陸奥国の延喜式神名帳を確認する必要があります。
参考に下総国の一部、陸奥国の茨城県の部分について記載します。

(1)下総国の茨城県部分
下総国の茨城県の式内社には、健田須賀神社(結城市)、桑原神社(常総市)、蛟蝄神社(利根町)の3神社があります。
茨城県西の下総国(結城郡・豊田郡・猿嶋郡)
結城市、古河市、五霞町、境町、八千代町、常総市、坂東市は、かつて下総国でした。
茨城県南の下総国(相馬郡)
つくばみらい市の一部(小貝川を境にした南部)、守谷市、取手市、利根町、河内町の一部は、かつて下総国でした。
(2)陸奥国の茨城県部分
大子町の八溝山地域は、陸奥国白河郡に属し、白河郡17郷のうち、八溝山東南の地で、10世紀前半には「依上郷」といわれていました。八溝山山頂の八溝嶺神社は、陸奥国の式内社です。平安時代は、陸奥国でしたが室町・戦国時代に佐竹氏の勢力拡張により、常陸国となったものです。

平安時代の延喜式神名帳と延喜式内社


延喜式神名帳と延喜式内社

延喜式神名帳は、醍醐天皇の命により延喜五年(905)に開始し、延長五年(927)に完成した当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧で、全国で2861社の神社が記載されています。式内社は、延喜式神名帳に記載されている神社で、平安時代に官社として存在していた神社です。
「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成していた官社の一覧表のことです。国・郡別に神社が羅列されており、祭神、社格などが記されています。


延喜式内社と名神大と名神小(国幣大社・国幣小社)の神社格式

社格において、畿内の延喜式内社は、神祇官から幣帛を受ける官幣社といい、畿外の式内社で国の国司から幣帛を受ける式内社を国幣社といいます。
その国の神社の重要度や社勢によって、大社と小社に分けられました。畿外の国幣大社 の数は 155社で 、国幣小社 は2133社 でした。


延喜式内社と論者・比例社

平安時代からの経過において、合祀等の名称変更、同一地域において同名の神社が複数ある等により、延喜式神名帳に記載された神社が確定できない場合があります。
延喜式神名帳に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社(ろんしゃ)・比定社(ひていしゃ)と呼びます。
本サイト記載では、論社・比定社も記載していますので小社(国幣小社)の数は一致しません。


延喜式神名帳における茨城県の延喜式内社について


茨城県の延喜式内社・名神大の神社

茨城県の延喜式内社の名神大の神社は、すべて常陸国にあり以下の7社です。

  1. 鹿島神宮(一ノ宮) 茨城県鹿行:鹿島市
  2. 静神社(二ノ宮) 茨城県北:那珂市
  3. 吉田神社(三ノ宮) 茨城県央:水戸市
  4. 大洗磯前神社 茨城県央:大洗町
  5. 酒列磯前神社 茨城県央:ひたちなか市
  6. 稲田神社 茨城県西:笠間市
  7. 筑波山神社・筑波男神 茨城県南:つくば市

茨城県の延喜式内社と名神小の神社

茨城県の名神小の延喜式内社は、下総国(3社)、常陸国(21社)、陸奥国(1社)の25社ありました。
なお、本サイトでは、論社・比定社も掲載していますので茨城県の小社(国幣小社)の数は延喜式神名帳の数と一致しません。
茨城VRツアーの神社一覧において「延喜式内社・名神小」と記載していますのでご確認ください。

  • 常陸国の延喜式内社の名神小:21社
  • 下総国の延喜式内社の名神小:3社
  • 陸奥国の延喜式内社の名神小:1社

式外社と国史見在社


常陸国の式外社

一般的に延喜式神名帳に記載されていない神社で、資料によって延喜式成立当時(平安時代)に存在していた神社を式外社といいます。
朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持った神社(熊野那智大社など)、また、神仏習合により仏を祀る寺となった神社、僧侶が管理した神社(石清水八幡宮など)があります。茨城県では、大宝八幡宮(下妻市)等が式外社の神社です。


常陸国の国史見在社(式外社)

式外社のうち、奈良・平安時代の歴史書「六国史」に名前が見える神社を国史見在社、あるいは国史現在社といいます。茨城県では、息栖神社(神栖市)、加波山三枝祇神社(桜川市)等の神社が国史見在社です。
※六国史=奈良・平安時代に勅命によって編纂された六つの歴史書である『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の総称です。


常陸国の総社と一宮・二宮・三宮


常陸国の総社

日本の律令制において、国司着任後の最初の仕事は赴任した令制国内の定められた神社を順に巡って参拝することでしたが、平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化されました。
茨城県(常陸国)では、現在の石岡市に国府があり、常陸國總社宮が総社でした。


常陸国の一宮・二宮・三宮

令制国の一宮を指すことが多く、その地域で、最も社格が高い神社を一宮(一の宮・一之宮)といい、次に社格が高い順番で二宮、三宮といわれていました。
律令制において国司は任国内の諸社に神拝すると定められており、通説によると一宮の起源は国司が巡拝する神社の順番にあると言われています。
常陸国では、一宮は、鹿島神宮(鹿嶋市)、二宮は、静神社(那珂市)、三宮は、吉田神社(水戸市)でした。今でも、各神社ではこの言い方を利用しています。