平将門の乱は何か、なぜ地域で英雄なのか、乱は無かった!
- 平将門はなぜゆかりの地で英雄なのか
- 平将門の乱の証明は真福寺本の「将門記」
- 常陸国府の襲撃は無かった
- 上野国の襲撃、新王宣言と除目は無かった
- 太政官符のフィクション
- 平安時代から現在までの評価
- 平安時代の人治政治の実態
- 平将門の乱とその他の乱の違い
- 平将門の冤罪証明の前提条件
- 真福寺本:将門記の決定的ミス
- 国府の将門の乱の報告は改ざん
- 将門記の記載・平将門の乱の捏造!
- 常陸国府の襲撃・平将門の乱の捏造!
- 上野国府の襲撃・平将門の乱の捏造!
- 「貞信公記」は平将門の乱の捏造証拠
- 平将門
- 平将門の乱
- 時代背景
- 将門の家系図
- 平将門人物像
- 真福寺本将門記
平将門の乱とは何か、なぜゆかりの地で英雄なのか
印刷
共有

平将門の乱は真福寺本「将門記」が証明となっている
印刷
共有
平将門の冤罪証明の前提条件
印刷
共有
将門記及び一般に言われている平将門の乱とは
適用の法律:養老律令
各冤罪証明に必要な証拠・あるはずの証拠
平将門の冤罪証明1:平将門の乱・常陸国府の襲撃は無かった!
印刷
共有
平将門の冤罪書2:平将門の乱・上野国の襲撃、新王宣言と除目は無かった!
印刷
共有
平将門の冤罪証明3:平将門追捕の太政官符は捏造文書だった!
印刷
共有
冤罪証明4:貞信公記の未記載(国府3件の襲撃と将門追捕の太政官符発行)
茨城県:県西地域、千葉県:北西地域、旧下総国では平将門は英雄とされている事実
印刷
共有
平安時代から現在までの評価の状況証拠
印刷
共有
平将門の乱とその他の乱の違い
印刷
共有
下総国から下野国の境界線地
下総国から下野国の境界線地は昔から平らな土地でした。そもそも常陸国の名前の由来は、《行き来する道路が、大きな川や海の入り江に遮られることなく、郡や郷の境界が山や川で途切れることなく一続きに続いている。そのため、まっすぐ通じる道(直道=ひたみち)という意味を取って国名とした》と言われています。現在の下記掲載の地形地図を見ても分かるように高低差がほとんどありません。※中心に下妻市、その下左右には坂東市と常総市が並んでいます。地図左下の標高(中心の下妻市)は20.6mと表示され、標高も高くない事が分かります。

京都の地理院地図の識別標高図
京都周辺の地形図です。前の記事で紹介した下総国から下野国の境界線地とは全く異なる地形です。山に囲まれ、高低差のある場所で育ち、京都周辺しか知らない人であれば、常陸国や下野国は、平坦な土地が広大に広がっていたことを想像するのは難しかったのではないでしょうか。なので、将門記の文章中にも争いが起きたとされる平地で、「高い山に登って・・・」などと書いてしまったのではないでしょうか。地形を理解していない人が記述した事が分かってしまう致命的ミスです。

