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大子町の観光おすすめ神社・御朱印拝受案内


大子町の神社おすすめスポット10件

大子町の神社VRツアーマップ

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大子町の神社スポットVRツアーマップは、大子町内のおすすめの神社VRシーンの登録位置を確認できる地図です。以下の地図上のオレンジ(市町村狭域起点)青(空中)黄(地上)のポイントをクリックするとVRシーンポイントの名称が表示されます。
そのシーン表示をクリックすると

その場所のVRシーンをご覧いただけます。


八溝嶺神社:大子町の名所

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大子町の八溝嶺神社の拝殿の景観写真とVRツアーのリンク

八溝嶺神社は、茨城県の最高峰の八溝山に鎮座する神社で、平安時代には陸奥国の延喜式内社でした。戦国時代に佐竹氏が、陸奥国に進出し現在の大子地域が常陸国になった経緯で、現在は、茨城県にある陸奥国の延喜式内社です。創建は景行天皇40年(110年)、日本武尊東征にて八溝の賊を打ち払い大己貴命・事代主命を祀ったのが始まりとされています。
※参考:大己貴命(おおあなむちのみこと)は、日本神話における国造神の一人で、一般的には大国主命(おおくにぬしのみこと)として知られています。 事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する神で、大国主神の子で、海や漁業、商業、託宣の神として信仰されています​。 また、恵比寿神(えびす)が事代主神と同一視されることも多く、商売繁盛や大漁の神として知られています。
八溝嶺神社で行われる若衆30人程で梵天(ぼんでん)を担いで山頂へ登る梵天祭は、大子町の無形民俗文化財に指定されています。御朱印は、年に1度の5月3日に行られる梵天祭の時に拝受できます。
麓に八溝山の一の鳥居があります。


八溝嶺神社の山頂鳥居とVRツアーの説明

八溝山の八溝峰神社の山頂鳥居の景観写真

写真は、八溝嶺神社の山頂の鳥居の景観で、写真をクリックするとVRシーンをご覧いただけます。八溝嶺神社のVRツアーは、空撮50m、社殿前で構成されてしています。なお、八溝山には、麓の一の鳥居付近、林道中、日輪寺等の紅葉スポットがあり、大子町の紅葉スポット案内でご覧いただけます。


八溝山神社の地図


近津神社(下野宮):大子町の名所

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大子町下野宮の近津神社鳥居の景観写真とVRツアーのリンク

※本サイトでは、地域スポット案内は北側から説明していますが近津神社は説明の都合で下、中、上の順で説明しています。下野宮、町付(中の宮)、上野宮の近津神社は、ともにかつて保内42ヶ村の総社として「近津三所大明神」と尊称されていました。
下野宮の近津神社は、延喜式内社の稲村神社(社格小)の論社で大子町のおすすめ観光スポットです。
【御祭神】級長津彦命 (しなつひこのみこと)、面足命 (おもだるのみこと)、惶根命 (かしこねのみこと) 
級長津彦命は、日本神話に登場する神で、日本書紀では級長津彦命と表記され、神社の祭神としては志那都彦神などとも書かれる。
面足命と惶根命は、日本書紀では兄を面足尊、妹を綾惶根尊(あやかしきね)と表記され、神世七代の第六代目の神として、人体の完成や、陰陽の調和などを象徴するとされます。
下野宮の近津神社は、大子町の近津神社3社の中心の神社です。中田植と呼ばれる江戸時代以前から続いている祭事があり、大子町指定文化財となっています。社殿の左にある杉の巨木は、奥州征伐に向かう源義家が鉾を立てかけたという言い伝えにより鉾杉と呼ばれ、茨城県指定文化財で大子町のパワースポットです。
御朱印は、元旦と御田植祭り(毎年夏至の日)の時に拝受できます。


近津神社(下野宮)の観光VRツアーの説明

近津神社の鳥居付近の景観写真

写真は、近津神社の鳥居付近の景観写真でクリックするとVRシーンをご覧いただけます。このVRツアーは、空撮148m、空撮56m、鳥居、随神門、手水舎・拝殿、鉾杉で構成されています。


近津神社(下野宮)の地図


近津神社(町付):大子町町付

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町付の近津神社拝殿の景観写真とVRツアーのリンク

慶運4年(西暦707年)の勧請で、下野宮、上野宮と共に近津三所大明神と尊称されています。近津三所大明神の祭神は、級長津彦命、面足命、惶根命で同じです。また、上野宮・下野宮・中ノ宮(町付)の近津神社に大晦日の夜から元日の朝にかけて巡拝する「三社参り」という風習があります。

大子町の町付の近津神社にある石鳥居は、寛永11年(1634年)に水戸藩初代藩主の徳川頼房公が奉納したもので、大子町の有形文化財(建造物)となっています。


近津神社(町付)のVRツアーの説明

大子ア町付の近津神社の鳥居景観写真とVRツアーのリンク

写真は、町付の近津神社の一の鳥居の景観写真で、クリックするとVRシーンをご覧いただけます。鳥居のVRシーンを拡大して見ると石の鳥居が確認できます。これが、水戸藩初代藩主の徳川頼房公が奉納した鳥居です。撮影時には、文化財であることを撮影者が確認していなかったため、現時点で二の鳥居のVRシーンはありません。町付の近津神社の参道は、鳥居から拝殿まで130メートル程あります。髄神門から拝殿の境内までは急な階段です。町付の近津神社VRツアーは、空撮148mと一の鳥居、髄神門、拝殿で構成されています。


近津神社(町付)の地図表示


近津神社(上野宮):大子町上野宮

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大子町上野宮の近津神社拝殿の景観写真とVRツアーのリンク

大子町には近津神社が下野宮、町付(中の宮)、上野宮の3社あり、近津三社大明神と言われ大子町のおすすめスポットです。上野宮の近津神社は、下野宮の近津神社から分祀された神社です。一の鳥居、随神門、広い境内に拝殿・本殿がある立派な神社です。一の鳥居から拝殿までの参道の距離は、約110メートルです。


近津神社(上野宮)のVRツアーの説明

上野宮の近津神社の鳥居景観写真とVRツアー

写真は、上野宮の近津神社の一の鳥居の景観写真でクリックするとVRシーンが表示されます。一の鳥居から髄神門がかすかに見えます。また、古木の杉林が見えますがその中に本殿と拝殿があり、髄神門から拝殿まで階段となっており、階段を上がる手前に神社の大きな2本の杉のご神木があります。上野宮の近津神社VRツアーは、一の鳥居、随神門、拝殿で構成されています。


近津神社(上野宮)の地図


十二所神社:大子町の名所

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大子町の十二所神社鳥居の景観写真とVRツアーのリンク

十二所神社は、社伝では、当地方の開発の守護神として神亀4年(西暦727年)に創建されました。神亀4年は、蝦夷の反乱が起きた年、多賀城が設置された年です。また、慶長(西暦1596年)の始め佐竹義宣の寄進で社殿が改築され、明治43年(西暦1910年)4月、本町の大火に類焼し、社殿・神宝を悉く焼失したこと等が、茨城県神社誌に記載されています。
祭神は、その名の通り、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよぐもぬのかみ)に始まる天神七代の神々(7代12柱)の12神で、歴史のある神社です。
十二所神社の春季例大祭は、大子町指定文化財となっています。春季例大祭は毎年開催されますが、神輿の神幸は4年に1度となります。境内には大鳥居、百段階段、聖徳太子塔、蒟蒻神社などがあり、茨城百景「大子の史跡」の一部とされています。毎年、3月初めに行われる百段階段のひな祭りは有名です。御朱印は、社務所で拝受できます。

所在地〒319-3526 茨城県久慈郡大子町大子458

連絡先:十二所神社・電話:0295-72-0816

参考大子町  十二所神社春季例大祭 紹介ページ


十二所神社の観光VRツアーの説明

十二所神社の一の鳥居と百弾階段の景観写真とVRツアーのリンク

写真は、十二所神社の大鳥居・百段階段の景観写真で、写真をクリックするとVRシーンをご覧いただけます。十二所神社VRツアーは、空撮144m、大鳥居・百段階段、参道桜並木、鳥居、拝殿、蒟蒻神社等で構成されています。


十二所神社の地図表示


十二所神社 蒟蒻神社:おすすめスポット

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大子町の蒟蒻神社鳥居の景観写真とVRツアーのリンク

蒟蒻神社は、十二所神社の境内社で、奥久慈地方の蒟蒻業界の始祖と云われる中島藤右衛門翁(1745年~1825年)を祀った神社です。
中島藤右衛門は、常陸国(茨城県)久慈郡諸沢村の農民で、蒟蒻製法の発明者です。久慈郡北部の山地では古くからこんにゃく芋が栽培されていました。 収穫した生芋は、重量もあり、腐敗や凍結しやすかったためその流通には問題がありました。藤右衛門は、安永5(1776)年ごろに生芋を輪切りにし、自然乾燥したあと粉にすることを考案しました。これによって長期保存や軽量化が可能となり、販路が拡大し、水戸藩の特産物となりました。水戸藩は、文化3(1806)年に、藤右衛門に苗字帯刀と麻裃着用を許し、その功を称えたという実話です。


蒟蒻神社の鳥居の景観と観光VRツアーの説明

蒟蒻神社の鳥居の景観写真とVRツアーのリンク

写真は、十二所神社の西側の斜面にある蒟蒻神社の鳥居の景観写真で、写真をクリックするとVRシーンをご覧いただけます。VRツアーは、鳥居、参道、拝殿で構成されています。


蒟蒻神社の地図


諏訪神社:大子町小生瀬

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大子町の諏訪神社拝殿の景観写真とVRツアーのリンク

大子町の小生瀬にある諏訪神社は、文永元年(1264年)に創建されたと云われています。
祭神は、水の神の建御名方命(たけみなかたのみこと)と山坂の神・建御名方命の妃の八坂刀売命(やさかとめのみこと)の二神です。 神紋は、現在も五本骨扇であるため、佐竹氏の関連する神社です。境内は、杉の巨木が多くあり、整然としておりパワースポットを感じる雰囲気があります。境内には神馬の像、随神門などがあります。例祭にて弓祓い神事(近的の儀)が行われます。神社の近くには、月居温泉滝見の湯袋田の滝生瀬滝の滝があり、大子町のおすすめ観光スポットです。


諏訪神社の鳥居景観・神馬像とVRツアーの説明

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小生瀬の諏訪神社の鳥居景観と境内の神馬像の写真とVRツアーの説明です。

  • 諏訪神社の鳥居景観

    諏訪神社の鳥居景観写真
    大子町小生瀬の諏訪神社入口の鳥居景観です。国道461号の南側に行く丁字路があり、そこに諏訪神社の看板があります。そのまま100m程進むと右側に鳥居が見えます。鳥居の反対側にも2台程度の駐車スペースはありますが、正式には、そのまま緩やかな坂を上って鳥居から約150mのところの右側に「諏訪神社(表参道)」という看板があります。その入り口を進むと広い駐車スペースがあります。
  • 諏訪神社の随伸門前の神馬像の案内

    諏訪神社の随伸門前の神馬像の写真
    髄神門前の神馬像の写真です。佐竹氏の紋が入っています。この地は、平安時代以前は、陸奥国でした。大子町や福島県の塙町付近は、佐竹氏と白川結城氏の支配が漸次入れ替わるという激戦の地でした。諏訪神社のすぐ西側は、月居山で、そこにはかつて月居城があり、佐竹氏の奥州攻略の軍役負担と前線基地の役割を果たした要所でした。そのため、戦勝祈願を度々行ったと思われ、当時は実際に生きた馬を奉納していたと考えられます。神馬像の左側の石碑には、「雨を祈るには黒毛の馬を、晴れを祈るには白毛の馬を奉納する」という習わしが記載されています。これは、次の記載の平安時代中期の延期式に記載されている内容です。

神社と馬の信仰について

神社と馬の信仰は、日本で古くから根付いている伝統的な信仰です。馬は神様の乗り物、あるいは神聖な動物として、神社の儀式や信仰において重要な役割を果たしてきました。
競馬や流鏑馬の神事、絵馬の奉納は今でも行われている馬の信仰です。奉納の方法も以下のように時代と共に変化しています。

(1)生きた馬の神社への奉納
もとは、生きた馬を神社に奉納していました。
延喜式(平安時代の法典)3巻26条では、雨を願う時には黒毛の馬を、晴れを願う時には白毛馬をそれぞれ献納するという記述があります。「 祈雨神祭八十五座/並/大・・・貴布祢社各加黒毛馬一疋。自余社加庸布一段。其霖雨不止祭料亦同。但馬用白毛。・・」
神に奉納された馬を「神馬」(シンメ又はジンメ)と言い、奉納された馬をおいておく神社の建物を「神馬舎」といいます。 日本の神社には、上賀茂神社(京都府)、小室浅間神社(山梨県)のように今でも実際に神馬舎があり、生きた馬をかっている神社があります。また、神馬像、神馬舎を設置されている神社が全国に多数あり、茨城県内にも多数あります。大子町には、小生瀬の諏訪神社の他にも、八溝嶺神社の鳥居の脇に奉納された白馬の神馬像があります。
(2)奉納馬の変化と絵馬
神馬は、その後、馬自体が貴重で奉納が容易でないことや管理上の問題で、土製の馬形、木製の馬形、馬の形の板となり、そして、板に馬の絵を描いた奉納額、そして誰でも容易に祈願できる今の絵馬へと変化しました。社務所のある神社では、いずれの神社も絵馬が置いてあるはずです。
現在の絵馬は五角形ですが、神馬舎を模しているとのことです。

小生瀬の諏訪神社の地図


男体神社:大子町頃藤

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大子町の男体神社の拝殿景観写真とVRツアーのリンク

男体神社は、大子町頃藤ころふじにある大同2年(807年)創建の神社です。
祭神は、男体山山頂(標高653m)の奥の院(石祠)に「伊邪那岐命」を主神として祀り、西側の長福山(女体神社:標高496m)の山頂の石祠に「伊邪那美命」を祀り、両方一体として男体神社に祀っています。男体山の山頂と長福山の山頂の直線距離は、約1.2キロメートルでほぼ中間点(標高291m)に位置します。
古くから農業の神、漁業の神として信仰が厚く、農業の神として作物の五穀豊穣や嵐除け祈願、漁業の神としては、大漁祈願、出漁の安全祈願が行なわれました。
当山は、太平洋も眺められ、船の位置航路を測定出来るため、かつて艏掛山(ふねのけやま)とも呼ばれていました。
また、男体神社の裏側には、「白糸の滝」があります。かつて男体神社は、神仏習合で山頂の奥宮(奥の院)は、禅頂殿とも呼ばれ、修験者が白糸の滝で身のけがれを払い、禅頂殿を参籠(さんろう)し、太平洋の朝日を排し祈願したそうです。
※文章は、茨城県神社誌を参照、文中の「参籠」は、一定期間こもって祈願すること。
なお、男体神社や白糸の滝には、登山口の駐車場まで車で行けるため観光でも容易にご覧いただけます。奥宮までは、トレッキングシューズ等登山の装備が必要です。

所在地茨城県久慈郡大子町頃藤3154


男体山山頂の奥宮の景観写真

男体山山頂の奥の院の景観写真とVRツアーのリンク

男体神社の「奥宮」は、男体山の山頂にあり、写真をクリックするとVRシーンが表示されます。山頂のVRツアーは晴れの日のものですが、かすみがかかっており、太平洋や富士山はご覧いただけません。男体山頂の奥宮に立てば、奥久慈の山々の絶景がご覧いただけます。晴れた日には、太平洋、日光連山、筑波山、遠く富士山も眺められます。春には、山桜、初夏にはヤマツツジや藤の花、夏には深緑、秋には紅葉をご覧になれます。なお、VRツアーでは、奥宮の南側の絶壁のVRシーンがありますが、危険な場所のため見るだけにしてください。


大子町の男体神社の地図


関戸神社:大子町の古社

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大子町の関戸神社の拝殿の景観写真とVRツアーリンク

関戸神社は、別名、関戸米せきとめ神社ともいわれる大子町頃藤にある古社です。
御祭神:天津彦根命(あまつひこねのみこと)

社伝によると大同元年(806)の創建で、往古源義家北征に当たり、この地を陸奥国白川郡と常陸国久慈郡の国境と定め、ここに「関戸米神社」を祀り戦勝を祈願したといわれています。 神社名の由来は、平安時代以前は、奥州南西部の白川郡と常陸国久慈郡の境界(焼山関たけやまのせき)があったことに由来します。 関戸神社は、「関戸神社(焼山関)」として、大子町の史跡文化遺産となっています。

(1)「今昔物語集」巻27第45話の記載
「陸奥国ヨリ常陸ノ国へ超ル山ヲバ、焼山ノ関トテ極ジク深キ山ヲ通ル也」
陸奥国から常陸国に入るとき、焼山の関所という大変深い山を通りました。)とあります。
※「今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)とは、平安時代末期に成立したとされる「むかし、むかし」で始まる説話集です。
(2)『新編常陸国誌』の記載
新編常陸国誌には、「焼山関」を「多岐也麻乃世幾」とよみ、「凡本国久慈郡ヨリ陸奥ノ白河郡ニ入ルベキ道ニアリ。今ノ久慈郡比藤村(古奥州白川郡)ニ関戸明神アリ、コレ其地ナリ」と記されています。

古来、関戸神社は、関戸大明神の有り難い御霊験により、人々の不幸災難の入り込むことを関戸米(せきとめ)て、心の青浄安泰を護持する守護神といわれています。 御祭神の天津彦根命は、農耕商工業の繁栄の基を開き、疫疾厄災を祓い、幸福招来、和合円満の御神徳は厚く尊敬されております。 ※「往古」又は平安時代以前の頃藤は、常陸国ではなく陸奥国でした、鎌倉時代以降、佐竹氏が陸奥国南部に進軍し、白川結城氏と勝ち負けを繰り返し、佐竹義舜の代の永正年間(1504年~1521年)以降、江戸時代末まで常陸国になったという経緯があります。
なお、現在は、関戸神社の宮司が男体山の奥宮を含めた男体神社をはじめとして頃藤地域の神社を統括しています。御朱印は、境内の西側口の社家でいただけます。念のため事前に電話してください。

所在地〒319-3361 茨城県久慈郡大子町頃藤6506

連絡先関戸神社・電話:0295-74-0501


関戸神社の鳥居・境内の様子とVRツアー案内

以下の写真は、関戸神社の鳥居と門柱・参道の景観写真です。写真をクリックするとVRシーンが表示されます。主な見どころは、鳥居、手水舎・門柱付近、神社の由来石碑2本杉、拝殿、本殿、神輿庫、末社等で10シーンのVRツアーで構成されています。本殿の建造は江戸中期の作にして、桧板葺流れ造りにして数多くの彫刻は狩野派の画風による華麗なる金銀極彩色仕上げにして、当地稀に見る重要な文化財です。本殿は、保護建物で覆っていますが、ガラス枠にしているため外側からでも概観をご覧いただけます。

  • 関戸神社の鳥居景観

    大子町の関戸神社の鳥居景観写真とVRツアーリンク
    大子町の関戸神社の鳥居景観写真です。鳥居の脇には、ぼたん桜やソメイヨシノが数本あり4月中旬には満開になります。VRシーンをご覧いただくとわかりますが、坂になっており、坂下に古代にあった関の渡し石碑があります。
  • 灯篭・門柱の景観

    大子町の灯篭・門柱の景観写真とVRツアーリンク
    左側に手水舎があり、直進してすぐのところの左側に関戸神社の由来説明石碑があります。石碑の右横に二本の巨木の杉があります。巨木の杉の場所は神社の西口となっており階段と赤い灯篭があります。

関戸神社の地図


越方神社:大子町の相川鎮守

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越方神社の鳥居と境内の景観写真

越方こしかた神社は、大子町相川にある朱塗りの太鼓橋と鳥居が目立つ神社です。
御祭神:経津主命 (ふつぬしのみこと)、大巳貴命 (おおなむちのみこと)
茨城県神社誌には、社伝では、大同年間(806年~810年)の創立と伝わり、越方大明神と尊称されていたこと、慶長18年(1613年)に、三輪神社を合併し越方神社になったことが記載されています。麻疹はしかの神としての信仰され、「橋くぐり」という信仰があり、神橋をくぐると病難を免れると云われています。
神社の境内の規模は小さいながらも御神水、朱色の神橋や鳥居、髄神門もあり、地域の鎮守としては立派な神社で大子町おすすめ観光スポットです。社務所はありません。

所在地〒319-3534 茨城県久慈郡大子町相川1101

連絡先越方神社・電話:0295-72-0816


越方神社の太鼓橋・拝殿とVRツアーの案内

以下は、太鼓橋と拝殿の景観写真です。本写真おける越方神社の観光スポットのVRツアーの説明です。上記の鳥居の写真も含めて写真をクリックするとVRシーンが表示されます。上記の「橋くぐり」は、読んだだけでは意味が分かりませんが、実際に現地に行くと納得します。本サイトのVRツアーでも体験できます。
赤い太鼓橋は、相川に架かった橋で渡り終えるとすぐに赤い鳥居の前です。
橋をくぐるという記載だけでは意味不明ですが、鳥居の前の左右に階段があり、下ったところにコンクリートの狭い通路があり通り抜けられるようになっています。VRツアーで説明板を確認できますが、緒方神社入口の説明板には3回くぐることが記載されています。周り方は記載されていません。「3回くぐる」で思い出すのが神社の無病息災の祈願行事の「地の輪くぐり」です。「地の輪くぐり」は、左、右、左まわりで3回ります。なお、橋くぐりは、

  • 太鼓橋と神社入口の景観

    越方神社の太鼓橋と神社入口の景観
    入口付近の太鼓橋の景観写真です。右側に神社の簡易説明板があり、このシーンで橋の両側を見ると階段があるのが見えます。太鼓橋の道路の反対側にご神水酔があります。入り口付近の道路脇に舗装されたスペースがあり、車5台程とめられるスペースがあります。近くには、相川のしだれ桜ぼたん桜があるため特に春がおすすめです。
  • 越方神社の拝殿前の景観と髄神門の御神像

    越方神社の拝殿前の景観写真とVRシーンリンク
    越方神社の拝殿前の景観です。VRシーンでは進むと向拝です。戻ると髄神門の前です。この場所のVRシーンを回転させると髄神門の裏側で、髄神門に安置された左右の守護神の石の御神像を見ることができます。拡大するとわかりますがかなり古いものです。神社誌には、天保6年(1835年:江戸時代末期)に随神門が新築されたことが記載されていますが、それ以前、創建の頃から野外にあったことが想像されます。

神社等の橋くぐり祈願にとは:越し方神社は、橋くぐりが可能な日本唯一の場所?

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はしかの橋くぐり祈願とは、はしかにかかった子供が、神社や寺院の門前等にある橋をくぐり、病気の回復を祈願する民間信仰の一つです。はしかの病祈願として過去に国内でも行われていたようですが、2025年のネット上の確認では、現在の関東地方だけのようです。
ネット上の調査では、大子町の超方神社以外に栃木県宇都宮市の「はしか地蔵」(橋くぐり地蔵)矢板市の「はしか地蔵」、埼玉県熊谷市の「鹿嶋様の橋くぐり」の3件が確認できます。しかしながら、3件のいずれも昭和の初期から橋くぐりはできません。
越方神社は、2025年において、橋くぐりが可能な国内唯一の場所と思われます。


緒方神社の地図


大子町の神社説明における参考文献

本ページに記載の内容は、以下の文献等を参考にして記載しています。 なお、写真やVR写真は、茨城VRツアーの現地取材で撮影したものです。

  1. 茨城県神社誌:発行者・茨城県神社庁:発行日・昭和48年6月20日
  2. 取材時における神社の由緒説明板の記載内容、及び神社のホームページ
  3. 市町村の文化財等説明の参照
  4. 用語等におけるWikipediaの参照