大子町の観光おすすめ神社・御朱印拝受案内
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大子町の神社おすすめスポット8件
八溝嶺神社(観光・登山名所)
延喜式内社、八溝山山頂、梵天祭(大子町無形民俗文化財)近津神社(下野宮・名所)
近津三社、中田植(大子町指定文化財)、鉾杉(茨城県指定文化財)、延喜式内社近津神社(町付)
近津三社、徳川頼房公奉納の石鳥居(大子町有形文化財)近津神社(上野宮)
近津三社、下野宮の近津神社から分祀十二所神社
十二所神社春季例大祭(大子町指定文化財)、茨城百景「大子の史跡」十二所神社 蒟蒻神社
蒟蒻業界の始祖・中島藤右衛門を祀る神社諏訪神社(小生瀬)
神馬の像、随神門、弓祓い神事(近的の儀)男体山神社
大子町頃藤、登山口、白滝、奥の院
大子町の神社VRツアーマップ
八溝嶺神社:大子町の名所
八溝嶺神社は、茨城県の最高峰の八溝山に鎮座する神社で、平安時代には陸奥国の延喜式内社でした。戦国時代に佐竹氏が、陸奥国に進出し現在の大子地域が常陸国になった経緯で、現在は、茨城県にある陸奥国の延喜式内社です。創建は景行天皇40年(110年)、日本武尊東征にて八溝の賊を打ち払い大己貴命・事代主命を祀ったのが始まりとされています。
※参考:大己貴命(おおあなむちのみこと)は、日本神話における国造神の一人で、一般的には大国主命(おおくにぬしのみこと)として知られています。 事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する神で、大国主神の子で、海や漁業、商業、託宣の神として信仰されています。 また、恵比寿神(えびす)が事代主神と同一視されることも多く、商売繁盛や大漁の神として知られています。
八溝嶺神社で行われる若衆30人程で梵天(ぼんでん)を担いで山頂へ登る梵天祭は、大子町の無形民俗文化財に指定されています。御朱印は、年に1度の5月3日に行られる梵天祭の時に拝受できます。
麓に八溝山の一の鳥居があります。
- 所在地〒319-3704 茨城県久慈郡大子町上野宮字八溝2119
- 参考大子町 八溝嶺神社の梵天祭 紹介ページ
八溝山神社の地図
近津神社(下野宮):大子町の名所
※本サイトでは、地域スポット案内は北側から説明していますが近津神社は説明の都合で下、中、上の順で説明しています。下野宮、町付(中の宮)、上野宮の近津神社は、ともにかつて保内42ヶ村の総社として「近津三所大明神」と尊称されていました。
下野宮の近津神社は、延喜式内社の稲村神社(社格小)の論社で大子町のおすすめ観光スポットです。
【御祭神】級長津彦命 (しなつひこのみこと)、面足命 (おもだるのみこと)、惶根命 (かしこねのみこと)
※級長津彦命は、日本神話に登場する神で、日本書紀では級長津彦命と表記され、神社の祭神としては志那都彦神などとも書かれる。
面足命と惶根命は、日本書紀では兄を面足尊、妹を綾惶根尊(あやかしきね)と表記され、神世七代の第六代目の神として、人体の完成や、陰陽の調和などを象徴するとされます。
下野宮の近津神社は、大子町の近津神社3社の中心の神社です。中田植と呼ばれる江戸時代以前から続いている祭事があり、大子町指定文化財となっています。社殿の左にある杉の巨木は、奥州征伐に向かう源義家が鉾を立てかけたという言い伝えにより鉾杉と呼ばれ、茨城県指定文化財で大子町のパワースポットです。
御朱印は、元旦と御田植祭り(毎年夏至の日)の時に拝受できます。
- 所在地〒319-3555 茨城県久慈郡大子町下野宮1626
- 連絡先:近津神社・電話:0295-72-8329
- 参考大子町 近津神社の中田植 紹介ページ
近津神社(下野宮)の地図
近津神社(町付):大子町町付
慶運4年(西暦707年)の勧請で、下野宮、上野宮と共に近津三所大明神と尊称されています。近津三所大明神の祭神は、級長津彦命、面足命、惶根命で同じです。また、上野宮・下野宮・中ノ宮(町付)の近津神社に大晦日の夜から元日の朝にかけて巡拝する「三社参り」という風習があります。
大子町の町付の近津神社にある石鳥居は、寛永11年(1634年)に水戸藩初代藩主の徳川頼房公が奉納したもので、大子町の有形文化財(建造物)となっています。
- 所在地〒319-3702 茨城県久慈郡大子町町付1218
- 参考大子町 近津神社(中宮)の石鳥居 紹介ページ
近津神社(町付)の地図表示
近津神社(上野宮):大子町上野宮
大子町には近津神社が下野宮、町付(中の宮)、上野宮の3社あり、近津三社大明神と言われ大子町のおすすめスポットです。上野宮の近津神社は、下野宮の近津神社から分祀された神社です。一の鳥居、随神門、広い境内に拝殿・本殿がある立派な神社です。一の鳥居から拝殿までの参道の距離は、約110メートルです。
- 所在地〒319-3704 茨城県久慈郡大子町上野宮3208
- 連絡先:近津神社・電話:0295-72-8329
近津神社(上野宮)の地図
十二所神社:大子町の名所
十二所神社は、社伝では、当地方の開発の守護神として神亀4年(西暦727年)に創建されました。神亀4年は、蝦夷の反乱が起き年、多賀城が設置された年です。また、慶長(西暦1596年)の始め佐竹義宣の寄進で社殿が改築され、明治43年(西暦1910年)4月、本町の大火に類焼し、社殿・神宝を悉く焼失したこと等が、茨城県神社誌に記載されています。
祭神は、その名の通り、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよぐもぬのかみ)に始まる天神七代の神々(7代12柱)の12神で、歴史のある神社です。
十二所神社の春季例大祭は、大子町指定文化財となっています。春季例大祭は毎年開催されますが、神輿の神幸は4年に1度となります。境内には大鳥居、百段階段、聖徳太子塔、蒟蒻神社などがあり、茨城百景「大子の史跡」の一部とされています。毎年、3月初めに行われる百段階段のひな祭りは有名です。御朱印は、社務所で拝受できます。
- 所在地〒319-3526 茨城県久慈郡大子町大子458
- 連絡先:十二所神社・電話:0295-72-0816
- 参考大子町 十二所神社春季例大祭 紹介ページ
十二所神社の地図表示
十二所神社 蒟蒻神社:おすすめスポット
蒟蒻神社は、十二所神社の境内社で、奥久慈地方の蒟蒻業界の始祖と云われる中島藤右衛門翁(1745年~1825年)を祀った神社です。
※中島藤右衛門は、常陸国(茨城県)久慈郡諸沢村の農民で、蒟蒻製法の発明者です。久慈郡北部の山地では古くからこんにゃく芋が栽培されていました。 収穫した生芋は、重量もあり、腐敗や凍結しやすかったためその流通には問題がありました。藤右衛門は、安永5(1776)年ごろに生芋を輪切りにし、自然乾燥したあと粉にすることを考案しました。これによって長期保存や軽量化が可能となり、販路が拡大し、水戸藩の特産物となりました。水戸藩は、文化3(1806)年に、藤右衛門に苗字帯刀と麻裃着用を許し、その功を称えたという実話です。
- 所在地〒319-3526 茨城県久慈郡大子町大子
- 参考大子町観光協会 蒟蒻神社 紹介ページ
蒟蒻神社の地図
諏訪神社の地図
男体山神社:大子町頃藤
男体山神社は、大子町頃藤にある大同2年(807年)創建の神社です。
祭神は、男体山山頂(標高653m)の奥の院(石祠)に「伊邪那岐命」を主神として祀り、西側の長福山(女体山神社:標高496m)の山頂の石祠に「伊邪那美命」を祀り、両方一体として男体神社に祀っています。男体山の山頂と長福山の山頂の直線距離は、約1.2キロメートルでほぼ中間点(標高291m)に位置します。
古くから農業の神、漁業の神として信仰が厚く、農業の神として作物の五穀豊穣や嵐除け祈願、漁業の神としては、大漁祈願、出漁の安全祈願が行なわれました。
※当山は、太平洋も眺められ、船の位置航路を測定出来るため、かつて艏掛山(ふねのけやま)とも呼ばれていました。また、男体山神社の裏側には、「白糸の滝」があります。かつて男体山神社は、神仏習合で山頂の奥の院は、禅頂殿とも呼ばれ、修験者が白糸の滝で身のけがれを払い、禅頂殿を参籠(さんろう)し、太平洋の朝日を排し祈願したそうです。
※文章は、茨城県神社誌を参照、文中の「参籠」は、一定期間こもって祈願すること。
なお、男体山神社や白糸の滝には、登山口の駐車場まで車で行けるため観光でも容易にご覧いただけます。奥の院までは、トレッキングシューズ等登山の装備が必要です。
大子町の男体山神社の地図
大子町の神社説明における参考文献
本ページに記載の内容は、以下の文献等を参考にして記載しています。 なお、写真やVR写真は、茨城VRツアーの現地取材で撮影したものです。
- 茨城県神社誌:発行者・茨城県神社庁:発行日・昭和48年6月20日
- 取材時における神社の由緒説明板の写真、及び神社のホームページ
- 市町村の文化財等説明の活用
- 用語等におけるWikipediaの活用