鉾田市の神社・御朱印拝受案内
鉾田市の神社VRツアーマップ
楠木神社:鉾田市上太田・御朱印拝受
楠木神社は、楠木正成を祀る鉾田市上太田にある神社です。
祭神:楠木正成
神木:楠木2本
明治12年(1879年)に和田勘恵が私的神社として創建し、信仰が広まり、明治16年(1883年)に公社に烈した神社です。境内には、拝殿、本殿の他、明治二十五年から2年5カ月をかけて作ったとされる南朝遥拝檀(土の山)があります。2本の御神木は、この遥拝檀にあります。御朱印は、
※宮司:和田勘恵
戦国時代の常陸国領主・佐竹氏の一族、小沼義宣に跡取りがなかったため、河内国古市から上太田村に移り住んで「楠木正成の末裔」と称していた楠正継を養子とした。その17世の孫、勘恵が小沼氏から和田氏に姓を変えたとされる。御朱印は、神社の境内の下にある社家でいただけます。
参考:※参考:茨城県神社誌(昭和48年:茨城県神社庁)
※楠木正成
元弘の乱(1331年 ~ 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、南河内郡の「千早城の戦い」で10万ともいわれる幕府軍をわずか一千軍勢で数々の奇策に寄って大勝し、鎌倉幕府打倒に貢献した。
建武の新政下では、最高政務機関である記録所の寄人や河内守などに任じられ、新政を支えた。
しかし、新政は武士たちの不満を招き、足利尊氏が反旗を翻し、1336年、摂津国の湊川(兵庫県神戸市)の戦いで大軍を率いる足利尊氏に敗れ、弟の正季(まさすえ)と共に自害した。
最後まで天皇のために戦い抜き、その忠義心は後世に高く評価され、日本の歴史における忠臣の代表的な人物として語り継がれている。 。
所在地:〒311-1405 茨城県鉾田市上太田525−3
電話:0291-37-1524
楠木神社の入口・門柱と遥拝檀の景観とVRツアーの説明
楠木神社の入口・門柱と遥拝檀の景観とVRツアーの説明です。写真をクリックするとVRシーンが表示されます。楠木神社のVRツアーは、空撮148m、入口門柱、鳥居前、遥拝檀下・手水舎前、遥拝檀上、拝殿前、拝殿西側・本殿景観、東側駐車スペースの9シーンで構成されています。
遥拝檀の檀上景観
遥拝檀の檀上の景観です。南朝を遥拝する場所で2本の御神木があります。なお、この場所は、坂が急なためスニーカーやトレッキングシューズでないと上ることができません。また、手荷物をもって上るのも危険です。楠木神社の入口・門柱の景観
楠木神社の入口・門柱の景観で、門柱と参道が見えますが奥が鳥居です。なお、車で植えの駐車スペースに停めた場合は、一旦、道路を下ってここからの参拝をおすすめします。
楠木甚jの地図
谷越神社:鉾田市飯名
谷越神社は、鉾田市飯名の古社です。
祭神:国常立尊(クニノトコタチノミコト)
大化元年(645年)創建、もと、飯名神社と総称されていました。その後、中古地名を冠し社号にしたと伝わっていることが茨城県神社誌に記載されています。 これは、元は飯名神社でその後、平安から室町時代に地域の地名の谷越に変更したということです。
※参考:茨城県神社誌(昭和48年:茨城県神社庁)
※中古地名とは
歴史における「中古」とは、奈良時代から室町時代、又は平安時代から室町時代をいい、中古地名とは、その時代に使用されていた地名です。
なお、谷越神社、室町時代以前は飯名神社で、現在の字名は「飯名」です。「飯名神」は、「常陸国風土記」の信太郡の条にのみ見られる神名で、「常陸国風土記」の信太郡の条に、「其里西飯名社此即筑波岳所有飯名神之別属也」(その里の西に飯名の社あり、これは筑波の岳にある所の飯名神の別属なり)と記されています。筑波の岳にある所の飯名神は、現在の筑波山中腹の飯名神社(式外社)に比定されています。「飯名神」は、風土記の信太郡の条にのみ見られる神であるため、谷越神社も筑波山の飯名神社の分社だった可能性があると思われます。 なお、現時点の祭神は異なります。
谷越神社の境内は、スダジイ、タブノキ、サカキ、ヤブツバキの古木のある樹叢となっており、鉾田市指定文化財(天然記念物)です。
所在地〒311-1521 茨城県鉾田市飯名609
谷越神社の施設景観と観光VRツアーの説明
画像は、谷越神社の鳥居の写真です。クリックするとVRシーンをご覧いただけます。このVRツアーは、空撮148m、鳥居、拝殿、説明板等多数のシーンで構成されています。
谷越神社の門柱・鳥居
谷越神社の門柱と鳥居景観写真です。写真をクリックするとVRシーンが表示されす。直進すると樹叢の参道ですが、鳥居の右側に鉾田市文化財の「谷越神社の樹叢」の説明板へのリンクアイコンがあります。説明板では、記載内容をご覧いただけます。
谷越神社の付近地図
新宮神社:鉾田市烟田
新宮神社は、鉾田市烟田にある古社です。
- 祭神 速玉男命(はやたまのおのみこと)
- 配祭 武甕槌命(たけみかづちのみこと)、日本武尊
- 御神木 二本の巨木の杉
社伝では、景行天皇の時に日本武尊が東夷征伐の折に武甕槌命(たけみかづちのみこと)を観請し国土安堵を 祈り、此処を勧請地と称したという。 その後、大同年間(806年~810年)に武甕槌命と日本武尊を観請奉ったという。 承応年間(1652年~1655年)に野火により、社殿を全焼し、熊野山より、三社を遷し新宮を鎮守としてこの地に祀り、本宮を新宿に、中宮を長泉寺に祀ったといわれています。なお、社務所はありません。※参考:茨城県神社誌(昭和48年:茨城県神社庁)
新宮神社には、舗装されていない180m程の立派な参道があり、拝殿近くに二本の御神木の杉の巨木があります。また、参道を含めた鎮守の森は、茨城県の新宮緑地環境保全地域に指定されています。
所在地〒311-1515 茨城県鉾田市烟田941
新宮神社の施設景観とVRツアーの説明
画像は、新宮神社の入口の門柱と参道の二本の巨木の杉の御神木の写真です。クリックするとVRシーンをご覧いただけます。このVRツアーは、空撮149m、参道、二本の巨杉の御神木、鳥居、向拝、説明板のシーンで構成されています。
新宮神社の二本の巨杉の御神木
新宮神社の参道の二本の杉の巨木の御神木です。樹齢は、200年から300年程と思われます。杉の左側に手水舎があります。なお、本殿裏にもしめ縄の取り付けられた1本の御神木と思われる杉がありますが参道の二本にと比べると小さい杉です。新宮神社入り口の門中と参道
新宮神社の入口の門柱と180mの参道の景観写真です。写真をクリックすると拝殿までのVRシーンにより参道の樹叢景観をご覧いただけます。入口の左側に新宮緑地環境保全地域の説明板があり、VRシーンの拡大で樹木の種類や動植物の内容をご覧いただけます。
新宮神社の付近地図
琴平神社鉾田市鉾田
琴平神社は、金刀比羅神社ともいい、鉾田市鉾田にある天正十三年(1585年)に創建された神社です。
祭神:大物主神
天正十三年新居郷の村民が四国の本宮より勧請し、更に文化九年(1812年)八月に再勧請したと伝わっています。※参考:茨城県神社誌(昭和48年:茨城県神社庁)
琴平神社説明板の記載
今から凡そ500年位前、鉾田周辺では度々領主戦が続き、すでに徳宿城は水戸の江戸通雅の奇襲攻撃により烟田氏の応援も間に合わず落城。永禄12年(409年前)には烟田城主烟田忠幹がその宗家に背いた為、鹿島治時に攻められて降伏。鹿島郡内は大いに乱れた。度重なる戦乱の他に春秋に襲い来る巴川・七瀬川(現・鉾田川)の大洪水と大旱魃等に苦しんでいた鉾田村の農民が四国讃岐の琴平町にある金比羅宮より迎えて祀ったのが、鉾田の「こんぴらさま」の始まりである。 所在地〒311-1517 茨城県鉾田市鉾田970
琴平神社の鳥居・説明板の景観とVRツアーの説明
画像は、琴平神社(金刀比羅神社)一の鳥居の写真です。VRツアーのスタート地点で写真をクリックするとVRシーンをご覧いただけます。このVRツアーは、空撮148m、鳥居、参道階段、拝殿、神社説明板の5シーンで構成されています。
琴平神社の鳥居・階段
琴平神社の鳥居・階段の景観写真です。鳥居の両側に駐車場があり、写真をクリックするとVRシーンで確認いただけます。琴平神社の説明板
琴平神社の説明板は、拝殿の東側(右側)の側面にあります。写真の右側が本殿です。写真をクリックして、VRシーンを拡大すると記載内容をご覧いただけます。
神社おすすめスポット4件
鉾田市の神社おすすめスポットの案内です。以下の掲載画像をクリックすると取材・登録が完了しているVRツアーをご覧いただけます。鉾田市の神社は、現在、漸次、取材・処理中です。